まあ、わたしも、
45歳になりますがね。。。。
その年齢当時のね、糸井さん・仲畑さんが
どのように不景気に苦しみ、どのように、
衰えていく自分をカバーしてね、まあ、
いまのように、70代の手前でもね、稼いでいる
のかね。。。ほんまに。。まあ、わたしらもね、
そういうところにさしかかってきたわけでね。。。
まあ、これは大変ですがね。。なによりも
体調がよくないとね、仕事もないしね。。。
不景気だから、「予算も少ない」ですね。。。
ほんまに。。まあ、これをね、どうするか???
この状態をね、どう打開するか、でね。。まあ、50代
以降が違ってくる。。糸井さんは、「ほぼ日」をはじめた
当初もね、極端な不景気でね、三年ぐらいでもう、つぶれそうに
なっていた、というね?まあ、それはわかるんですよね。。。
ほんまに。。スタッフの人件費とかでないですからね。。。
「待ちの仕事」ではね、お金がつくれない。。ほんまに。。。。
まあ、ですからね?そこをね、まあ、いろんな部分でね、
お金を借りたりね、投資をしたり、株式をやったりとね。。。
いろんな部分で、しのぐ。。。だまし、だまし、やる
必要がある。。。ほんまに。。まあ、なんせね、その
日、うまい飯が食えたらよしとする。。まあ、それがね、
45歳からの「人間の大事な部分」ではないですかね。。。
ほんまに。。あと、じぶんが「お世話になるばかり」だとね、
ダメになりますからね。。。じぶんが人を雇用できる、
人助けができるね、じぶんが「人をそばに置ける」
「人を採用できる」「自前の」立場になる必要がありますね。。。
わたしの会社のそばで働きたい。。。わたしの近くで
働きたい。。まあ、そういう人間をね、いかに雇えるか。。。
ですよね。。で、そういうときにね、親鳥と雛鳥でね。。。
まあ、いつまでもね、じぶんが仕事をとる、というのもね、
できないしね。。もう、いい大人でしょう???ほんまに。。。
まあ、だからね?じぶんも、じぶんの金策とアイデアでね、
事務所をやっているわけでしてね、。。ほんまに。。まあ、
そこがね、「すごい困難」になるのですね。。ほんまに。。。
まあ、老人になっていくときにね、社会からはじめて、
放り出される「ゼロになる瞬間」がくるのですよね。。。
これはもう、遅くても遅い人ほど、あとでそれがくる
のでね。。。それはもう、じぶんで切り開かないとね、
人に力を借りられない。。で、人に下げる頭がなくなる
のですね。。。人に頭を下げないとね、力は借りられない。。。
それはね、みんな、「フリーを経験」しないとね、ダメ
なんですね。。。フリーになってね、人に金を払う、
というね???会社としてね。。。ほんまに。。まあ、
それを絶対にしない限りはね、広告屋は人生を許しては
もらえない。。。ほんまに。。。だからまあ、そこから
脱却できたときにね、はじめてね、「力がある事務所」
としてね?スタッフがとれるわけですね。。ほんまに。。。
うちに入りたい人がね、でてくるわけですね。。ほんまに。。。
そうなるとね、もう、あとはね、人があふれてきますからね。。。
今度は自前の組織ですからね。。ほんまに。。人が入りたい、
「巨人軍」になるのでね。。。ほんまに。。まあ、それが
大事ですね。。だからまあ、やっぱり、五年十年はかかります
のでね。。。。ひとりで戦う時期が必要ですね。。ほんまに。。。
まあ、むしろね、この時期はひとりでもがいてね、楽しい
のですね。。。ほんまに。。。この時期にね、経営者としてのね、
基礎を固める。。。ほんまに。。あとはお金ですからね。。。
ここからはもう、サラリーマンと同じですね。。。ほんまに。。。
だからまあ、まずね、そういう信用をじぶんの手で築き上げない
とね。。。人間、いつか「ゼロ」になるのでね。。まあ、その
ときにね、怖くなり、腰がひけてしまう、と思うのですね。。。
ほんまに。。まあ、何事もね、自力で自前でやるってこと
なんですよね。。。どこにアイデアがあるのか、はね、
誰にもわからない。。。ほんまに。。まあ、だからね、
次なる男、次なる人が現れればね、チャンスなのですね。。。ピース!!!
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45歳ぐらいからの「糸井・仲畑」さんは、どう生きたのか???
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