おばんです。。。。
今夜は、久しぶりに案件がなく、
かなり落ち着いていましたがね。。。。
まあ、あの小沢一郎・西松建設の事件を
調べてね。そのあと、証券会社の話を
身内としながらね。。まあ、株式をもっている。
SBI証券などでね。。まあ、古巣の博報堂DYの
いまの売値なんかを見ながらね、まあ、のんびりと
政治、経済についてね、ひとしきり、知り合いと
雑談してましたね。。。ほんまに。。で、まあ、
たまたまね、午後2200からね、NHKであった、
「長嶋茂雄 野球人生すべてを語る」というね?
一時間番組を見たね。。。まあ、わずか一時間ですからね。。。
野球と出会って、70年・・・もう、80歳でね。。。。
リハビリをされて以来、もう、12年にもなる、というね。。。
長嶋監督のね。。まあ、元気なお姿を見れましたね。。。。
ほんまに。。。「燃える男」「背番号3」「日本の太陽」。。。
まあ、わたしもね、広告的な勝負強さではね、「日本の三番」
「広告界の長嶋」とも目されてきましたがね。。。まあ、
華やかな選手時代にね、ニューヨークのジョーディマジオを
お手本にしていたこと。。それから、野球もシナリオやら
運びがあり、プロのセ界だからね、まあ、「天覧ホーマー」は
予測できていたこと。。。さらに、まあ、厄年に引退して、
38歳でユニフォームを脱いだ翌年から、巨人の監督を
したが、厄年もあり、大不調になったこと、ですかね。。。
そして、そのあと、12年も浪人して、現場に復帰して、
日本一などを飾る。。。そして、気づいたら、アテネ五輪の
目前に脳梗塞になり、それ以来、公の場を離れている。。
そして、2013年に引退した松井秀喜さんとともに
国民栄誉賞にえらばれてね、まあ、安倍総理が球審を
つとめるね、始球式でね。。まあ、松井と長嶋がね、
それぞれ、国民栄誉賞になる。。で、まあ、それは
安倍総理がね、うちにくる前だね。。。ほんまに。。
そしてまあ、今回がね、実質の長嶋さん、生前最後の
舞台となった、というね・・・だからまあ、わずかに
一時間ですからね。。。ほとんどね、世間が知らない
エピソードを話してましたがね。。。おもろかったのは、
やっぱり、厄年の六年ぐらいがね、ぜんぜんダメだった
という部分ですかね。。。ほんまに。。。まあ、だから、
プロとしては18年ぐらいで、終わってね。。。まあ、
当時の巨人軍は、ほかの球団より金が少なかったとかね。。。
まあ、そのへんも、おもしろかったですね。。。ほんまに。。。
もう、リハビリを12年も、やられているね。。。。いまでは、
王さんも具合が悪い、というね?だからまあ、みんなね、
あれほどの人でもね、あまり語らずにね、世を去っていく
わけですね。。ほんまに。。なので、まあ、我々はね
いま、こういう記録を出せていることはね、あんがい
ラッキーで幸せなことかもしれないですね。。。ほんまに。。。
わたしも、まあ、結局、38歳でね、現場から退いてね。。。
まあ、営業に回りね、社長になった、というね?で、まあ
厄年ですからね。。。こないだまで、きつかったですがねw
まあ、それはね、、やっぱり、振り返るとね、大変でした
がね。。。まあ、光がまた見えてきた部分はね、おもしろいね。。。
だからまあ、厄年はね、なにやってもダメですがね。。それがまあ
また、蓄積にもなるしね。。。とにかく、もがく、あえぐ時期も
必要だね。。。そのことでね、今度は経営者としてもね、まあ、
うまく行き始めるね。。。僕らも、やっぱりね、広告は
プロの世界だしね。。。もっと、やれただろうな、とは
思いますがね。。。ほんまに。。。まあ、それがね、
その人の運勢ですからね。。。。ほんまに。。。。
まあ、わたしらはね、さしずめ、福田・富・宮井の
黄金打線がさく裂していたね、西鉄ライオンズみたいな
時代だったかな?と思いますね。。。。まあ、いまではね、
もう、それぞれがね、いろいろと名賞になりね、人を
育てているのでね。。とくに、音信はとりませんがね。。。
まあ、あれだけね、毎日毎晩ね、毎夜のようにね、
コピーを書いていた時期が懐かしいよね。。。ほんまに。。。
なので、まあね。。いまは社長としてね、経営者としてね、
まあ、そういうね「できること」があるね。。まあ、
それから、わかることがある。。。ほんまに。。なので、
まあ、コピーのプロとしてはね、比較的によくやりました
しね。。まあ、「ファンあってのプロ野球」という
部分はね、同じだね。。。クライアントあっての
広告屋ですからね。。まあ、だからね、いまでもね、
いい仕事があるわけですがね。。それはもうね、
うちの事務所としてね、とろうというね、ことだからねw
まあ、これはこれでね、おもしろくなる、ですよね。。。。
なかなかね、そのへんも、プロの世界はね、まあ、
面白いですよね。。。。「政治、広告、ダンス、宗教、
メディア、思想」とね。。まあ、好きなことができると
いいのではないですかね。。。40代はね、まあ、やはり、
45歳ぐらいから、ですよね。。。ほんまに。。。まあ、
じぶんがまだやれるかな?ぐらいの、時期にはね、もう
次を考えておくといい、と思いますね。。。まあ、
時代が変わりますのでね。。。変わっていく時期に、
まあ、時代をつかめることが必要でね。。。まあ、
あの長嶋さんでもね、厄年が六年七年ありね、その
あと浪人が12年でしょ?ほんまに。。つまり、
引退して20年不調だったわけでね。ほんまに。。
で、復帰して、十年後にはもう、闘病リハビリ、
脳梗塞ですからね。。。ほんまに。。まあ、なのでね、
時をたくさんもつ、時間をもつ、ということがね。。
まあ、大事なのかな?とね。。まあ、長嶋さんは
その中でね、育児もしたわけでね。。ほんまに。。。
一茂さんを育てね、長女はまあ、アナウンサーに
した部分ですよね。。。ほんまに。。だからまあ、
あれほどの人でもね、やっぱり、子供がもう、
三十代には大きくなっていたのでね。。まあ、
厄年で絶不調になった時期はね、たいへんだった、
というね?ことをいうているね。。ほんまに。。。
まあ、それはそうなんだよね。。。ほんまに。。。
なので、やっぱり、厄年はね、みんなにあるんですね。。。
厄年のときにね、勝てることはないですからね。。。。
ほんまに。。。まあ、もう、違うことをしたらいいね。。
ほんまに。。。現役にこだわる、気持ちもあるかも
しれないがね。。。仕事が亡くなりますからね。。。。。
まあ、仕事が亡くなって、どーするか?というね。。。。
仕事がなくなってからね。。まあ、ファンをつかむ
努力とかね。。。じぶんの「味」がね、まあ、でてくる
のでしょうね。。。考えてみたら、もう、松井さんも
引退して久しくてね。。まあ、もう、指導者になる
のかな。。。イチローもね、もう、いい年寄り
ですよね。。。ほんまに。。だからまあね、
人生で当たる時期は短いですからね。。ほんまに。。。
プロとしてもね。。そのあとがね、非常に苦境がある、
というね?ことなんだな。。ほんまに。。まあ、
クリエイターもね、コピーライターもね、まあ
ダンサーもね。。。実に苦しむ、ながい不遇、
不幸が多い。。ほんまに。。まあ、それを
乗り越えないといけないね。。。ほんまに。。。
だからまあ、力量が落ちてきたときにはね、
まあ、マネジメントとかね、スタッフを育てる、
とかね。。政治力とかね。。そうじゃない分野でまた
プロになる。。それにはね、また十年二十年はかかって
しまうのでね。。まあ、うまく転換する。。しかし、
楽はできないのでね。。。まあ、その部分でね、まあ
世間には見えない汗をまあ、流す、というのかね。。。
見えないところでね、まあ、その転換をやっておく
というね。。。これはまあ、受験勉強みたいなもの
ですね。。。影でね、猛烈にやる、というね。。まあ、
みんな、同じなんですよ。。その業界の壁は誰しも
同じですからね。。。ほんまに。。。だからまあ、
難しい時期を乗り越えるとね、なかなかね、まあ
調子がよくなるかもしれないね。。ほんまに。。。
だからまあ、人間終わっていくしね。。まあ、
50歳で八割は終わってますね。。ほんまに。。
ほんまにね。。八割は終わってます。。ほんまに。。
だからまあね、あとは、いつ病気になるか、というねw
部分だけですね。。。40代からね、体がね、おかしく
なってきてね。。ほんまに。。なのでね、まあ、ね、
残したい記録、記憶はね、まあ、いろいろ残しておくとね、
まあ、いいような気がしますね。。ほんまに。。まあ、
コピーもね、プロの世界ですからね。。厳しいですよ。。。
ほんまに。。長くはできないですからね。。ほんまに。。
まあ、なんの世界もね、不況は十年は続きますからねw
大変ですね。。だからまあ、それを乗り越えてね、
やらないといけないね。。経営者になれる方法なんてね、
なかなか、わかりませんからね。。。勉強としてね。。。
ほんまに。。政治とかね。。。議員とかね。。ほんまに。。
まあ、そういう勉強はね、いりますね。。ほんまに。。。ピース!!!
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名将・長嶋茂雄、野球人生、そのすべて(最後)を語る。。。
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