いまから、二十年ぐらい前に
わたしが中野事務所に入った当初に、
まず、いまから「そこをやめる」というねw
あの、伝説の現・電通西日本局長・清水清春さんの
「コピーライターへの心得」というね?まあ、
秘蔵のメモがありましてね。。まあ、当時は
ワープロでね、つくられてましたがね。。ほんまに。。。
まあ、前の年に一年だけ、博報堂関西で学んでいた
わたしはね。。それまで、アストラカンの作法で
いいのかな?と思ってましたがね。。まあ、ようやく、
中野直樹のね、作法だね。。つまり、まあ、博報堂
本隊の考え方をね、そこで知るようになる。。まあ、
そのペーパーはいまでは、紛失してましたがね。。。
まあ、中野にいた四年程度はね、まあ、肌身離さず
身に着けていたしね。。それをまあ、修行の糧に
していたね。。それ以外にも、電通の企画書、
白土さんの企画書、そのほかね、いろんな
秘蔵のね、クリエイティブの考え方がね、まあ
中野には埋まってましたね。。しかしね、まあ
みんなが、それをわたしには見せてくれるもののね、
当時の同僚であった、納さんとか、いま東急の
局次長の西原さん、さらに、こけしマッチの
山田さんとかね。。。ADKの幹部になった小林とかね。。。
まあ、その人らがね、それを見ている様子はありません
でしたね。。わたしだけがね、まあ、その「清水さん」の
教えをね、うけていたわけですね。。で、まあ、
清水さんとライバルでありながらね、代理店に
行くことのなかった石松さんはね、女性だしね、
もっと、仕事を単なる「待ちの商売」として
とらえていてね。。まあ、ご主人がいる自宅に
戻ることもなくね、育児もないですからね、
まあ、延々遅くまで、漫画を読みながら、
コピーを書いていてね。。まあ、若手に
考えさせるけど、最後は自分で書く、というね、
まあ、コピーディレクターでしたね。。ほんまに。。
で、まあ、わたしは、はやくCDになりたかったのでね。。。
清水さんの作品集とかね、そういうのを研究したね。。。
納さんは中野に入るのが遅く、わたしより八歳先輩
でしたが、中野歴が一年しか違わないためにね、
わたしは、清水さんの仕事の仕方を手本に
していたね。。そのために、勘でやっていた
納さんの感覚とはちょっと、違っているところが
多々ありね。。それは、のちに、納さん以外が
みんな、代理店に行った理由だと思いますね。。。。
ほんまに。。清水さんのペーパーはもう、
いまでは、電通西日本のものになっているかも
しれませんがね。。きほんは「仲畑になれ。。。
しかし、どうやってなるのか?」というね。。。
話からはじまりましたね。。で、コピーライター
とは、こうあるべきもの…という考え方を
示していたね。。しかしね、まあ、ラジオとか
テレビCM、ビジュアル、ADについてはね、
中野では指南はありませんね。。それはまあ、
ライターには教えないようになっていたね。。。
ほんまに。。つまり、まあ、ライターが
コピーだけをやってればいい、というね、
事務所でしたね。。でも、わたしはCDになりたい
から、絵も自分で考えていたね。。で、まあ、
そこをやめたときに、すぐに、HDYに入り、
コピーディレクターになる。。。石松より
十五年ぐらい早くあがったわけですね。。。
で、まあ、富君(現・電通東日本室長)と
宮井君(現TCC審査委員)、田中君などをね、まあ
しごき倒す。。でもね、それもわたしは短くてね、
すぐに、CDになった。。つまり、まあ、絵の
ディレクションができるから、なんですよね。。。
それで、CDも二年で終わり、2005年には
制作部長になった。。ほんまに。まあ、
そんなことでね、非常にはやく、現場から
退くことになった。。もちろん、コピーは
まだまだ書きたいのだけどね、まあ、
うまく書ける仕事がないしね。。。やっぱり、
収益管理をしないといけない。。だからまあ、
営業もしてね、、数字の管理をしていたね。。。
ここで、、まあ、部下が三十名ぐらいいてるね、
中野直樹さんと同じようになったわけです。。。
制作の打ち合わせには少ししかでなくてね、
まあ、若手が悩んでいても、わたしが
口からコピーをだせば、解決する、
というね?まあ、そこまでね、考えが
成熟していたね。。。若手が徹夜してもね、
わたしのコピーが上回る。。まあ、そのへん
でね。。。HDYは、まあ、やはり、中野と
同じなんですよね。。。。博報堂なんですな。。。。
ほんまに。。。なので、まあ、「仲畑になるには」
だね。。。コピーで賞をとり、はやく社長に
なる。。。。絵もムービーもはやくわかる。。。
映像とスーパーとナレーションと予算と
タレントと日程と、演出、などをね、はやく
できるようになることですね。。ほんまに。。。
まあ、中野出身者はみな、優秀になりました
がね。。その清水さんよりは、アストラカンの
有沢さんのほうが少し上回ってますね。。。。
やはりね。。清水さんはマイナーな広島に
いきましたからね。。話がこまいわけです。。。
まあ、その意味では、結局、有沢が関西では
いちばん優秀なクリエイターだと思いますね。。。
仕事の速さ、うまさ、的確さ、まとめ方ね。。。
もう、これ以上にうまい人はいないね。。。。
まあ、西脇さんも僕らのレベルではまあ、
うまいけど、これは左だからね。。まあ、
ピンとこない。。まあ、その意味では、右の
クリエイターは有沢に勝るものはない。。。
ほんまに。。。コピーだけなら児島さんも
いいけどね。。まあ、これも、左ですからね。。。
根本的には有沢がいちばん、優秀かな、とね。。。。
だからまあ、電通西日本も川口がいますがね、
やっぱりね、右にいけない。。。。マイナーで
ある。。。。マイナーなところでやっているね。。。
西脇やら山中は左だしね。。まあ、その意味ではね、
なかなかね、優秀な人はいない、というね。。。
ことですね。。絵もコピーもいい、という人はまあ
いないね。。有沢ぐらいかな?というね。。ほんまに。。
東京だとね、まあ、やはり、タグボートに澤本さん、
とかね。。いますね。。まあ、このへんがいいね。。。
福里とかね。。でも、やはり、クライアントによっては
完全に外しますからね。。まあ、そのあたりではない
でしょうかね。。ほんまに。。まあ、富君もね、
そこらへんでね、電通の作法がわかってきてね、まあ
コピーはいい。。コピーだけはいい。。しかし、
もう、フィルムがダメである。。映像がダメですね。。。
絵について、そこまでやっていけない、のでしょうね。。。
画力が弱い。。。カメラを見る力がない。。。ほんまに。。
まあ、だから、もう、彼らも、45歳ですからね。。。
まあ、もう、力が衰えていますね。。西脇、山中も、
もう、衰えてますね。。左でも、もう、切れ味が
ない。。。フラットになっているね。。ほんまに。。
まあ、だから、有沢さんが、いま、60前の社長
ですがね。。。いまでも、うまい、というのは
すごいね。。ほんまに。。まあ、40代はまだ、
迷える時期かもしれないね。。。。40代からね、
広告はわからなくなる。。次代がね、これほど
変わってきたからね。。ほんまに。。。わたしも、
いま、甥などにね、「戦略ペーパー」つくって
ますね。。。教えを授けてますね。。ほんまに。。。。
そういえば、牧野さんも宮井君に授けていた
からね。。まあ、わたしもそれを読んでました
けどね。。まあ、ちょっと、意味が分からなかった
ですね。。まあ、牧野さんはクライアント対応、
というね?人ですからね。。。表現がよくない。。。
表現がつまらない。。仕事はまあ、とれるん
ですがね。。で、その、牧野、清水、福田がね、
みな、西日本、広島に飛ばされている、というねw
ほんまに。。で、まあ、ここでね、競り合っている
というね。。ことでね。。ほんまに。。。まあ、
いまも、清水さんのものは、いいですよ。。。
それなりにはね。。。でも、やっぱり、
ローカルですね。。ほんまに。。まあ、
西尾さんの話はもっと、すごくてね。。。
「広告やらCMをしないほうがいい」というね。。。
もう、大爆笑の話でねw。。。あんな仕事を、
しないほうがいい、というね?まあ、キリストの
話をしてましたね。。。西尾さんはもう、完全に
CMに嫌気がさしていてね。。「単なるロケだよ」
とか、ゆってましたからね。。。。。こんなん、
下請けにやらすだけだからさ。。。はやく
家に帰って、酒飲んで寝たほうがいいよww、
なんてね。。言ってましたね。。カンヌをとると、
そんな境地になる。。。「TCCとか、なんにも
ないよ?どうでもいいよ?そんなローカル」と
いってましたよ。。カンヌもなんもないよ???
まあ、誰でもとれるわ、あんな田舎町のフィルム
フェスティバル、という感じでしたね。。ほんまに。。。
西尾さんはスケールがすごかったね。。ほんまに。。
こまかいことをいわないしね、やっぱり、
東京で数十年やっているだけはあるな、
というね。。介護のために、都落ちした
ことは、いわなかったのでね。。まあ、
わからなかったね。。そこがまた、すごい
部分だったような気がするね。。まあ、
清水さんも奥さんが広島の人だからね。。
まあ、奥さんの家があり、介護があったの
かもしれないですね。。。ほんまに。。ピース!!!
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中野事務所には「伝説の清水清春ペーパー」があった。。。三十年前の話だね。。。
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