おばんです。。。
今日は真田丸、最終章への一回前の
ステージでしたね。。。和歌山の九度山のふもと
でね。。。のんびり、14年も隠棲していた、真田幸村の
もとに、大阪から使者がくる。。。大きく成長した豊臣秀頼が
徳川秀忠と決戦に及ぶ運びになったのである。。。すでに
戦場から遠く離れて十五年近い歳月が過ぎ去っていた。。。
しかし、過去の因果から、徳川本軍とぶつかる決断をした若き
豊臣秀頼に促され、真田幸村は古き時代の徳川郡を知る数少ない
人間として、すぐ目の前の大阪城に入っていく。。そこには
全国から寄せ集められたつわものがたくさんいて、後藤又兵衛も
いた。。。(それは、あの名将 哀川翔が演じている)。。そして
徳川本軍は成長した二代目・秀忠が率いる。。そして、すでに最晩年と
なっていた、真っ白に老いてしまった大御所・徳川家康。。。それを
制するかのように、あととり・秀忠が軍勢をまとめて、大阪へ向かう。。。
いくさの経験が一度しかない大軍勢を率いる秀忠本軍と、真田丸の攻防。。。
おもしろいね。。。ほんまに。。。あえて、男の花道を飾ろうと、幽閉先から
でていく、真田幸村。。。そして、豊臣をつぶしにかかる、秀忠。。。実に
おもしろい攻防ですな。。。ほんまに。。。そして、そこに、徳川本軍の
中ですでに偉くなり、秀忠にひとこと言える立場であった、あの幸村の
兄貴がね、何度も徳川への寝返りを促すも、幸村はそれを聴くことがなく、
討ち死にする道を選び、豊臣は滅亡する。。。まあ、それがおもしろかった
ですね。。。まあ、そういう流れですね。。ほんまに。。。おもしろいね。。。
ほんまに。。ところでね、今日はあの番組の最後にね、五分のVTR
が回るでしょう?その地域の宣伝みたいなね。。あれでね、わたしが
新人のときにね、仕事をしたことがあるね、和歌山のかつらぎ町とかね、
ニウツヒメ神社がでていてね。。そこのパンフレットをこさえたことがあった
のですがね。。まあ、それを思い出しましたね。。当時はそこに取材にいって
ましてね。。まあ、でも、実際にね、その神社の写真を借りてきてね、まあ
作業してね。。。コピーなどをつけてましたがね。。なんかね、おもしろい
コピーをつけてましたがね。。。まあ、もう、25年近く前の噺ですね。。。
ほんまに。。。ああ、これが?とね。。。思いましたね。。まあ、そこにね
真田がね、いたそうでね。。。真田がね、逗留していた、とね。。まあ、
そしてね、わたしは、2010年にもね、大阪から堺、千利休のいた場所、
それからね、和歌山の高野山にいきね、まあ、九度山も通ったのですがね、
まあ、そのまま高野山に登りね。。で、まあ、豊臣秀次切腹の場所とかね、
見ましたね。。。豊臣秀吉の墓とかね。。。ほんまに。。まあ、そういうことも
思ったな。。それからまあね、そういう大阪冬の陣の遠因になったね、
京都のね、五条の豊国神社、方広寺の金ね。。あれもね、まあ俺がね、
昔ね、そのパンフレットをつくっていた時代にね、かみさんがいたがね、
裏ビデオを借りにね、よく行っていたね、ビデオ屋の裏がね、その方広寺
でしてねw。。。。ほんまに。。。まあ、意外とね、そういう所縁ある
場所をね、回っていたものやなあ、と思いますね。。まあ、今思うとね、
なんで、長州から京都にでていたのかね、よくわからないね。。まあ、
経済戦争でね。。。メディアに洗脳されていたのでしょうがね。。。
もう、老境になったいまではね、もう、京都・大阪もね、じぶんの
シマうちですしね。。まあ、夜出歩くことはもうないですがね。。。
京都ももう、しばらく行ってないね。。以前行ったのがね、祇園の
ある有名バーでね。。「偉い人」としてね、招待されてね。。まあ、
あの菊水の裏手から入る店ですがね。。。まあ、京都もね、もう
行かなくなりましたね。。ほんまに。。。行く必要がないですからね。。。
まあ、行かなくなってますね。。まあ、昔はね、よくあんなね、怖い
ところにいたよなあ、と思いますね。。。京都は怖いですからね。。。
なんかね。。。夜がね。。。よくあんなところでね、祇園などにいた
なあ、と思いますね。。。ほんまに。。。。京都がさ、怖い場所とはね、
思わなかったのでね。。。大阪もね。。ほんまに。。不思議だね。。まあ、
いまはもうね、それはできないですね。。。ほんまに。。あんな怖い場所、
よういかないわ、とね。。ほんまに。。思いますね。。ほんまに。。。ピース!!!
●まあ、やっぱりね、メディアにはね、26年制限というものがあるのですね。。。
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真田丸最終章へ。。おもしろいね。。。徳川全軍VS大阪型。。。
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