まあ、われわれは、かつて中野事務所からネ。。。。。
伝説の黄金期を築いたね、大広C&Pというね、わずか
六年だけのね、存在した、短期的な戦略革命会社にね。。。
まあ、机を並べてましたがね。。最近ね、そのことをよく
思い出すようになりましたね。。もう、十年以上前にね、
消滅してね。。それがいまの巨大会社・大広ONESのね、母体に
なったわけですがね。。まあ、わたしはそこでね、この業界のね、
第一線に躍り出てね、電通賞、ブルー日刊をはじめとしてね、まあ
OCC賞・FCC賞・ACC賞の三冠。。。大阪広告界史上はじめてね。。。。
プロダクション出身で三冠王になれたのもね、そこだったね。。ほんまに。。。
まあ、そのときのことをね、最近夢で見たりね、思い出しますね。。もう、
ほんのわずかな期間でしたがね、当時そばにいた連中はみな、いまもう、
日本の最上層部、審査委員クラスになっていてね。。いちばん末端に
いた、竹内も博報堂関西の主任ADでしょ。。新人だった白石も
カリスマ会社シモーネのADですからね。。。すごいですよね。。。
ほんまに。。で、わたしがね、自民党総務局長待遇、博報堂DY
専務・エグゼクティブディレクターなのですからね。。すごいですね。。。
そのころのね、思い出話、これからシリーズでお伝えしていきたいと
思います。。。秘蔵のあの話、このネタ。。。関係者のみなさん、どうぞ
当時を思い出すような気持ちでね、ご覧下さい。。では、お楽しみに~♪。。。
↧
伝説の会社 大広C&P わずか六年で終わった戦略会社だったが、なんかいまごろ思い出すネ。。。
↧