同窓会で驚くのは、
「与えられた時間は全く同じ」
だった、ということがね、よくわかる。。。
それで、ある人はこうなり、ある人はこーなった、
というね。。まあ、その「与えられた競技としての
前提時間がね、まったく同じ」中でね、差がついたとしたら
それはもう、勉強した内容、方向性、脳密度、集中力などがね、
その差を生んだわけでね。だからまあ、わたしは、小中高の
同級生よりは突き抜けているが、大学の同窓生はわたしより
有利な人ばっかりでね、もともと、大阪に実家があるような
人ばっかりだからね。。やっぱり、その「大学一年生」当時の
格差はね、埋まってないですね。。。やっぱり、彼らは東京にでて
構えたりしているのでね。。やっぱり、ぜんぜん、落差がある。。。
田舎の同級生よりはわたしのほうがあがっているけどね。。。
それはね。。それは与えられた時間の中で解けた問題が多かった、
ということですがね。。で、大坂と田舎の落差、格差、時差はやはり
埋まらないね。。それは、当時と変わらない。。当時、大阪にすでに
親の大豪邸があり、高級車に乗り回していた、18歳の同級生と
クルマもなく、四畳半ぐらいのワンルームにいた俺ではね、
やっぱり、いまもぜんぜん違う。。だからまあ、よくわたしが
ゆっているようにね、壱年で六〇倍やってもね、格差は埋まらない、
というね。。それがまあ、大坂と地方が参〇年は開いている、というね、
格差、時差、歴史の差だね。。東京都と大阪も参〇年は開いている
ね。。。ほんまに。。だからまあ、同じ年に生まれた人がね、
ある世界に集まってきたときにね、与えられた時間はもう、まったく
同じでしょ?たとえば、いままで45年あったのならね、それはもう、
まったく同じでしょ?で、これを生かした人が勝ったわけでね。。。
行かさなかった人はね、単純に一般人で終わった、というね。。。。
ほんまに。。だからまあ、それだけやってもね、もともと、
差がついている東京やら大阪のね、そこに実家があるような
人とはね、やっぱり、ぜんぜん、落差、格差は埋まらないね。。。
郷里の田舎の同級生よりは、わたしのほうがのしていたでしょうがね。。。
ほんまに。。だからまあ、それがね、田舎のレベルでね。。田舎から
ここまであがった、というのはね、まあ、すごいことだったなあ、と
思うけどね。。つまり、東京と田舎ではね、、異常にレベルに差があるわけ
ですからね。。だから、都会の子は勉強しないね。。ほんまに。。。
しなくても、セレブ学校に幼稚園から入ったりするからね。。。
甘く育つ。。悪い人がいないでしょ???周りにね。だから、
お人好しで親切な人が多い。。田舎から上がるとね、野心家に
なりますからね。。。まあ、矢沢永吉みたいなタイプが多いわけ
ですね。。人間性がね、ちょっと「きつい」というね、そういう
タイプがね、田舎をでようとしますのでね。。ほんまに。。。ピース!!!
●まあ、同窓会には「人生そのものが顔にでる」のでね。おもしろい
ですよね。。俺はこーいう顔になったんだよあな、というね。。それが
まあ、見られますのでね。。まあ、見られたくない人はきませんよね。。。
ほんまに。。そこがね、まあ、見ていておもしろいですよね。。ほんまに。。。
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同級生が揃うと「与えられた時間はまったく同じ」だったが、時間の使い方が人生を分けたとわかるね
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