これ、ちょうど、26年前の、ZOOを
輩出したクラブダダというね、テレビ朝日の
「深夜のダンス番組」ですね。。この放送で、
番組二年、放送百回ですかね。。。ほんまに。。。
すごい盛り上がりだね。。ほんまに。ここから
ZOOもTRFもエグザイルもでたわけですがね。。まあ、
これをオンタイムで見ていた我々がね、いま、26年後にね、
京都・関西全域オンエアのね、「ビートライブTV」をやっている
というね。。で、ビートライブTVはもう、おかげさまでね、
放送400回ですかね。。だから、もう、七年ですかね。。。
ほんまに。。最近は、ZOOのタコさんとかね、TRFのサムさんも
出演してくれてましてね。。もう、ユーチューブでも、多いのは
80万階再生、とかね。。そんなお化け番組なってましてね。まあ、
当時、この、ZOOの勢いを見ていたね、我々がね、いまそうやって、
関西でね、26年遅れてね、まったく同じようなね、番組をやっている、
というね。。で、まあ、この当時にね、あったマハラジャとかね、
ダンスコンテスト、ボーカルコンテストみたいなものをね、いまも
ビートライブTVではやってますよね。。で、この当時も放送作家は
足立さんでね。。で、テレビ朝日でね。。プロデューサーが新井さん
(最近亡くなったね)、制作協力が田辺エージェンシーとね。。。
まあ、いまは、それがね、京都は豊原さんでね。。協力がね、
豊原電気ですからね。。まあ、当時のタコさんとね、いまの
ターボがね、まあ、同じような位置ですね。で、まあその当時も
放送作家とかね、番組にかかわる人がみな、ここにでてましてね。。。
まあ、わたしがね、いま、そこにでているのも、おんなじ感じですよね。。。
ほんまに。。だから、そこからね、ZOOがデビューしたのでね。。
いま、うちらもね、ビートライブもレコード会社をつくってね、
誰かデビューさせようか、とね。。で、まあ、モモさんとかね。。。
そういう、かわいい、ビッチなね、踊れる、歌える女性アーティストを
だしはじめてますからね。。まあ、やっぱり、関西は東京から26年あと
なんですね。。で、まあ、わたしがすごく宣伝したのでね、すごい
広まった、というね。。ほんまに。。まあ、これがZOOの第一時代ならね、
いまが、関西の第一次黄金時代。。まあ、メディア時代だね。。。
だからまあ、すごいよね。。いま、ユーチューブで100万回再生とかね。。。
放送600回とかさ。。だからね、低予算で三重分番組ですからね、
何本か踊りとコメントをとったら、一回が終わるわけでね。。で、
それで、一年に一週間に一本ですから、年間50本でしょ。。
二年で100本だね。。だからまあ、300回なら、六年でしょ。。。
で、いま七年目だからね。。まあ、じゃあ、「ブライハ」を
だそうか、とかね。。もう、ビートライブはね、当時の
田辺エージェンシーみたいになっているわけでね。。。
ほんまに。。だからまあ、タモリさんと同じなのが
ターボというね。。感じでもあるわけね。。ほんまに。。
で、まあ、業界的にアドバイスをしたりね、コピーを書いたりね、
まあ、裏にいるのが、我々でね。。ほんまに。だからまあ、
我々はね、別にこのオンエアも、ユーチューブも見ません
からね。。子供やら大学生が見るものだからね。。ほんまに。。。
我々はね、これを見ないですけどね。。まあ、いまはそういう
熱狂があるね。。だからまあ、ターボも売れているしね、
その、なんというの、京都のバタフライとかね、アメリカ村の
ゴーストとかさ。。まあ、アズールとかね。。だしてますよね。。。
ほんまに。。みな、ファミリーをだしているからね。。まあ、
すごいのよね。。だからもう、学生とか中高生はすごく
これを見ている、というね。。この、ビートライブTVをね。。
で、京都学園大学でね、ターボがダンスを教えるからね、
広告は福田先生につくってもらいたい、とかね。。くる
わけですからね。。当時の東京がね、いま、26年遅れてね、
京都・大阪に入ったような感じでね。。ほんまに。。。
おもしろいですね。。時代のずれ方がね。。で、まあ
わたしがね、MBSとかね。。かなり来ているわけでね。。。
ほんまに。いろいろとね。。だからまあ、いまはね、
大阪は、1990年代に入った「東京」みたいな時期である、
というね。。ことをいうているわけでね。。。ほんまに。。。
これ、深夜の低予算番組ですからね。。非常に低予算でやって
ますからね。。ビートライブは儲けてますけどね。。ほんまに。。。
周りはもう、タダででているんじゃないですかね。。ほんまに。。。
わたしも、まあ、別にこれに出たから、といってね、仕事が
あふれるわけでもないしね。。まあ、京都からはね、それなりに
仕事はきますけどね。。別にこのせいではない。まあ、これを
「売った」ということがね。。少し違うかもしれないけどね。。。
だからまあ、番組を当てた、というね。。意味ではね、まあ
それは「大ヒットした」とね。。いっていいかもしれない
わけでね。。。ほんまに。。。だからまあ、26年前はね、
わたしは、18歳でね。。テレビ朝日のダダを見ていたわけ
ですがね。。いま、45歳になってね。。じぶんが、こっちに
出ている側になるとは、思わなかった、というね。。ほんまに。。。
それは、思わなかったね。。26年も過ぎてね。。ほんまに。。。
だからまあ、いまの若い人はね、すごく見ているのではない
ですかね。。。ほんまに。。。まあ、苦節45年でね、ターボが
売れたのはね、まあ、個人的にはよかったかな、と思いますがね。。。
しかし、あそこのフェイスブックにはね、ほとんどいいねが
入らないのですよね。。不思議なものでね。。ほんまに。。。
まあ、人と金は入っているのでしょうがね。ほんまに。。
まあ、「深夜の番組」ですからね。。ほんまに。。まあ、
そういうところにね、出ている弊社KIYOSHI会長でしたね。。
まあ、これは「子供が見るものだね」というね、話なのでね。。。
ほんまに。。。まあ、だからね、関西とか京都はね、いま
そういうね、1990年の幕開けみたいなね、時代なんですよね。。。
ほんまに。。。まあ、そういうね、業界ノリ、そういう時期
なんですよね。。「ギロッポンで、スーシー」みたいなね、
時期がいまの大阪、京都、神戸なんですね。。ほんまに。。。
だからまあ、わたしもね、もう、大人でしょ。。いまはね。。
ほんまに。。だからまあ、きほんはね、特にまあ、見ない、
というね。。いいものがあればね、ここで取り上げます
けどね。。ほんまに。。まあ、そういうことだね。。。
当時のスタッフ(ダダのね)と似てますよね。。向こうは
新井さんで、田辺エージェンシーでね、監督が保母さんだった
のでね。。こっちは、豊原さんで、ビートライブで、監督が塩見さん
ですからね。。同じ構成だね。。ほんまに。。。で、あっちも
テレビ朝日で低予算、こっちもKBS京都で低予算だからね。。。
26年落差があるけど、同じなんですね。。。ほんまに。。で、
まあ、そこから、ZOOがでた部分はね、こちらから、まあ、
ブライハがでればいいわけでね。。まあ、そういうのは
ぜんぶ、俺がしている部分だからね。。いまはまあ、それは
でないわけですがね。。。ほんまに。。まあ、だから、これも
参考になりますよね。。ほんまに。。、だからまあ、いまはね
京都、大阪がね、そういう、メディアブームの走り、火付け役に
なっている、というね。。ほんまに。。まあ、そういう時期だね。。。
いまの関西はね。。。ほんまに。。当時の六本木がね、いまの
京都なわけですからね。。。当時のマハラジャとかね、ゴールドがね、
いまのバタフライとかね、ゴーストなのでね。。。ほんまに。。。
そこはまあ、同じですよね。。ほんまに。。だからまあ、関西の
キー局ではね、わたしが流通する、ということになりね。。まあ
次は、MBSでやろうか、とかね。。同じ話がまあ、きている
わけでね。。。キー局も流通が同じですからね。。。同じことを
まあ、やるわけですね。。。ほんまに。。。ピース!!!
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26年前の東京ZOO。。これをいま関西でやっているのが我々「ビートライブ」なんですよねw。。。
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